私が考える少子化対策とこれからの教育について。

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◆ある筋の識者が申すには昭和30年代の暮らしぶりに戻る事が可能であれば、地球温暖化、海水面の上昇、等には少なくとも歯止めをかけられる、との事であります。しかし、これは今の日本人に求める事自体、至難の業で在ります。しかし、無駄な抵抗になるのかもしれないが、やらないよりはやった方が僅かずつであるけれどプラス側に進むのではないでしょうか。つまり、そう言う認識を持ちたいものである。
◆人は不便さがあるからこそ、色々と便利になる為の方策や発明を考えるのであって、昨今の様に、世の中、全てが便利だらけでは、人は何も考えなくなってしまうのであろう。
兎に角、生まれ落ちた時から、例えばTVやゲーム機、AV環境にどっぷり浸かってしまった若い人こそ、自分で何かを考えたり創造したり自分で判断したりする事自体、出来なくなってしまうのでは、と危惧するのである。今では創意工夫と言う言葉自体も死語になっているのかもしれません。
◆その様に考えて行くと今の日本の文科省はじめ、所謂、教育者と崇められている方々は、この様な現状をどの様に捉えているのであろうか、特に子供の教育に関し、今までの紙と鉛筆による学習方法から全員にタブレットを与えAI教育に切り替えた北欧諸国の教育先駆者たちは、昨今、自国の子供たちの学習レベルが未だAI教育の行き届いていない国々の学習レベルより成績が下がっている事に憂慮し、また元の紙と鉛筆の学習に切り替えた、と言うニュースを文科省始め我が国の教育者たちが聞いても、何の反応もないのだろうか、それとも、それで良いと考えているのだろうか?甚だ不思議である。
◆まずもって、昨今の先生方は自分たちを『教育者である』と自負されているのであろうか?
私は、その辺から『昨今の教育』と言う問題を問いたい。
私は『教育者』とは?と言う基本的な問いを説く以前に、『学校の先生たち』と、点数を挙げる為だけに特化している予備校の先生たちとは本来、一線を引くべきであると考えています。
つまり、予備校の先生たちは、子供たちの点数を上げてやる事だけが仕事で在ります。
引き換え、昨今の学校の先生たちの仕事はどの様なものなのでしょうか?
さて、先生方の本来の仕事と言えば、授業の他に、子供たちの人としての生き方、つまり、やって良い事、やって悪い事、正義とは、悪とは、等の道徳観等について、身をもって正したり教えたりしていくのが本来の姿で在り、教育者としての厳しい道のりで在ろうかと思うのです。
そんな簡単になれるものではないと思うのですが、昨今は先生も教育者も十把一絡げの様であります。
◆今のままでは日本の将来を託せる様な教育をしなければ子供たちは育つ事は出来ません。
現在の点数至上主義と言う偏差値教育の特に悪い部分だけがDNAとして受け継がれる事のない様にしたい。
最後に鬼才、故岡本太郎氏の教育への思いを紹介しよう。
『教えるのはいい。教えなければならない。だが、何故順位を付けるのだ。。人間はその数だけ、それぞれ、その姿のまま、誇らしくなければならない。そう言う人間の生きる歓びを開発し、自覚させるのが教育の役割なのに。順位がそのまま道徳基準で在り 、人間の価値で在る様に幼い魂に押し付ける。』
◆企業フィロソフィーの持たない日本のメディア、特に大衆への影響力が大きいテレビ局は、公共の電波を使い、くだらない番組を一体、どのくらい流したのだろうか、その為に将来を嘱望された若者達が一体どのくらい世の中から締め出されドロップアウトしてしまったのだろうか。ひと頃、日本人を一億総白雉と揶揄した時代がありましたが、下らないテレビを媒体とするメディアの影響が大きかったのではなかったか。
兎に角、日本人は、或る時からものを考えなくなってしまった様である。
だから、一つの策として下らない番組の放送は22時半以降、放映を禁止すべきであろう、そして、日本をもう一度、輝かしい日本を取り戻そうではないですか。


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