住まいの計画は敷地内だけで考えるのは失敗の素。
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私が考える≪住まい≫の客観的見方ーPart-2 敷地に対する建物の配置計画等は、本来、ランドスケープデザインやサイトプランニングによって決めるべき、他方、工務店や建売メーカー等の住まいは、施主や工務店、建売メーカー側の内なる欲求や条件によって決められる事が余りにも多く、よって敷地に対する建物の配置計画に様々な欠点や問題点が内在している様です。
私が考える《良い住まい》とは、どの様なものを言うのか、2点程、紹介します。
1点目は、本来、
土地の履歴として、地勢・風土・歴史・気象・敷地周辺の自然環境も含む住環境などが《住まい》を考える上での最も重要なキーワードになると言う事であります。つまり、住まいに関する計画そのものが、その土地の前途『キーワード』が十分に反映されているか否か、がとても重要な点であると思うのです。
私自身、客先の求めた敷地(土地)が、どの様な《住まいの在り方》を欲しているのか、と言う事を敷地(土地)から極力、聞き出す事に注力します。何故なら聞き漏らしたり間違えたりしたら大変です。
動物でも植物でも地球上のあらゆる生きとし生けるものは、その土地や環境に適合しなければ死に絶えてしまうからであります。
故に私は家を計画するにあたり
“土地の地勢を考える”と言う事が重要な計画の骨子で在るべき!と考えるのです。家庭と言う言葉は“家”と言う文字と“庭”と言う文字から成り立っており、非常に含蓄のある言葉であります。つまり
『家』とは「地球=自然環境」と私達『住まう側の人間』を繋ぐ「媒体」としての大きな役割があると考えるからです。
翻って、アメリカでは既に19世紀半ばあたりからフリデリック・ロー・オルムステッド(Frederik Law Olmsted)の提唱によるランドスケープデザイン(Landscape Design)と言う概念からランドスケープアーキテクチャー(Landscape Architecture)と言うフイールドが確立しており、建築計画の前に
ランドスケープデザインの検討がアメリカでは強く根底にあり、又、これと少し似た概念として
『サイトプランニング(SitePlanning)』と言う、私達が今までやってきた手法があります。この手法は、ある意味「土地利用計画」等と称し、その土地(敷地)に対する地勢等からランドスケープデザイン手法と同様に
土地に対する建物の配置計画を人の動線・車の動線・風の流れ・太陽の動きと日照などから、ありとあらゆる方向と視点から検討を行い、建物と庭、車庫、外部納屋、等を俯瞰しながら計画していきます。
兎に角、《良い住まい・良い建築》とは、
人(生活環境)と庭(周辺環境及び自然環境も含む)とが《有機的》に繋ながり《媒体として》の役割が大きく担保されている事で在り、その大きさが、建築(=家)としての価値を高める事になっているのではないでしょうか。
、、、、、、、二つ目は、住む人の生活に関する全ての考えや思いを、如何に《住まい》の中に取込み具現化できるか、であり、
住む人の《住まい》に関する夫々のアイデンティティ(identity)が夫々、住む人の《住まい方》であり
個性であろうと考えるのであります。
翻って、住まいの外観などに関しても、設計施工会社や建売住宅メーカー等は、これ見よがしに衒ったデザイン等で若い客層を中心に営業展開をしている様に思います。外観イメージの説明用として、彼らが良く使う《個性》とか《個性化》と言う言葉であります。特に若い客層に対し、他人と異なる外装デザインを《個性》とか《個性化》と言う言葉で洗脳していくのです。
しかし、ここで建築に於ける本当の意味の《個性》とか、或いは《個性化》と言うのは一体、どう言う事なのか、等を考えてみました。
例えば、道路を挟んで向かい合う、或いは隣り合う住宅の外観イメージとして、屋根の形や色を変える事、或いは外壁等の形や色を変える事、或いは材料を変えたりする事が、建売住宅メーカーの言う、所謂《個性》とか《個性化》と言うのであれば、それら個々の住宅を集合し、一つの街区を整備した時に、果たして、その街並みは、本当に美しいとは言えるのであろうか、私は、一つの集落として観た時に美しいとは感じないし、先ずもって疑問であります。
洋の東西を問わず古今東西、世界に現存する美しい街並みと言われている共通点は少なくとも、建築とその配置が非常にランドスケープ的であり、且つ、建築の平面や断面、或いは立面等が、大自然に溶け合う様に土地の景観や周辺の山並み、人々の生活とその営みを背景に計画され、集落化し、大らかな自然環境に馴染む形で佇み家と家との重なり合いが美しいハーモニーとなり美しい風景を醸し出しているのです。
いずれにしても、例え、設計施工会社や建売住宅メーカーが造る住宅地の街並みであっても、形や色など、デザイン上での個性のぶつかり合いは街並み形成上、決して美しものではありません。この様な街並みとしての不調和音は是非避けるべきであろうと思う。そうしなければ、やはり『この街並みは様々な建売住宅マーカー等の展示場みたい』と揶揄されてしまうのがオチで在ろう。やはり、美しい街並みの形成には、美しさを前提とした建築の屋根が外壁などの形や色などに一定の《ルール》が必要なのではないでしょうか。
古来から、今でも『山間の集落』や『里山』等の風景が美しく見えるのは、その集落を取り囲む山並みの美しさや幾重にも重なり合う田んぼや畑、その谷間をくねる様に流れる小川のせせらぎ等々、全てが自然の美しさで秩序化された自然の美しさなのではないでしょうか、そこには生きとし生けるもの全てが自然から学び生かされ一切の邪念も無く純粋に、在るがままに住まう事だけを考えていたのではと、思うのである。勿論、その情景には現代都市が既に捨て去ってきたものと重ねて思うノスタルジックな感傷もあるのかもしれません。それだけに現代人には、この様な集落の美しさは、とても眩しく見えるのではないでしょうか。私論であるが、その根底となっているのが、この小さな島国の中で暮らす事を宿命づけられた農耕民族としての自然を畏怖しつつ自然を敬う生き方に在った様に思うのです。
さて、《住まう為》の家づくりはとても高価な買い物です。又、チャンスも一生に1度あるかないかであり、あっても2回くらいかと思うのです。その様なチャンスの中での《家づくり》であり、それだけに『自分達が幸せに暮らす為の家』のであると言う事を強く意識して頂く事こそが《家づくり》の第一歩になるのではないでしょうか。
それ故に、是非、安易に図面の中だけ、或いは敷地の中だけで《家づくり》を考え、そして最終判断する事だけはやめるべきかと思うのです。特に設計施工の会社や建売住宅メーカー等の営業担当者や設計担当者たの『セールストーク』に惑わされない事で在ります。その為にも自分の《家づくり》に対する考え方を他人事とはせず自分の為に整理し勉強しておくべきか思うのです、でなければ、安易に《家づくり》を考えたり判断したり、或は、設計施工の会社や建売住宅メーカー等の営業担当者や設計担当者の考え方や見解、或は意見がを正しいと思い込み、安易に受け入れてしまいがちです。それでは様々な建築や住宅関連の雑誌等からの情報の氾濫に溺れてしまい、結局は自分たちの生活文化を見失ってしまう事になるでしょう。
しかし、その様な情報の氾濫等に迷われた時にこそ、建築アドバイザーや第三者的立場拘る専業設計事務所等に意見を求める事を是非お勧めしたいのです。私が何故《建築アドバイザー》や《第三者的な立場》に拘るのかと言えば、県や市に登録し公共建築物等の設計や監理を担当出来るからであり、且つ、設計施工会社や建売住宅メーカー、或いはゼネコン等との協力関係が無い為に《利害関係》等に囚われる事なく『きちっと意見を言う事が出来る立場』であるからであります。
くどい様ですが、やはり、《家づくり》を考える上で、重要な事は、敷地の中で考えるのではなく、敷地の外から俯瞰して様々な地勢や事象を観る事であり、その事により見えなかった事や物が初めて見えてくるのです。例えば、隣とのプライバシーにかかわる事、風の通り道や陽の当たり具合、雪の降り方、積もり方、有事におけるハザードマップからの敷地の状況、等々、今更ながら『ランドスケープデザイン(Landscape Design)』や『サイトプランニング(Site Planning)』での検討の意味とその重要さが分かってくると思うのです。
悔いを残さない《家づくり》の為にも、是非、敷地の外から《家づくり》を考え、熟慮に熟慮を重ね、その土地の声をじっくりと聞く耳を持ちたいものです。
最後に、《住まい》とは、人と共生する『生き物の様なもの』であるはず、然るに、本来《住まい》と言うものは量産などすべきでないのかも知れません。多分に、それは住まう人の生き方に合わせながら丁寧に、しかも一つ一つ、念には念を入れて手作りをすべき『事・行為』なのかも知れません。
兎に角、大きな人工物であるはずの建築と、神様が創ったと言われる自然物とが呼吸を合わせながら息づいて行くものであります。 以上
(R6年10月21日アップロード)
(R7年2月9日、見直し月日)
以上
参考サイト:

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