『畦上圭子さん』の『私がハウスメーカーの住宅を嫌いな理由』Part-2
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PART-2
住宅産業はクレーム産業と言われて久しい。ユーザーからクレームを言われない様に造ろうとすると、品質が均質で文句の付けられない材料選定が優先される。
そうなると、どうしても無機質の材料が増える事になる。
バラツキがあり、傷が付きやすかったり、職人の技量で差が出てしまう自然素材では、とてもやっていられないからである。言うなら、自然素材はハウスメーカーにとって「危険水域」なのだ。
コスト低下(ハウスメーカーの住宅は安いとは言えないので、利益優先と置き換えても良いのであるが)の為の工期短縮と、省力化、効率化がそれに拍車をかけ、かくして仕上げ表の上から下まで塩化ビニールのオンパレードと言う事になってしまった。
確かに、メーカーにしていれば、化学建材は重宝この上ない材料なのかもしれない。
ユーザーも、あなたの予算で建てられる材料はこの程度、と言われ、自然素材はメンテナンスが大変で扱いきれますか、と言われてしまうと返答に困り、沈黙せざるを得なくなる。
その沈黙のうちに、塩化ビニールは日本列島に蔓延してしまった。
しかし、考えてもごらんなさい。いくら陶器は割れるからと言って、プラスチックの食器で食事をする気になれますか。
少し年月を経ったプラスチックの食器の貧相さは、食事の味までも貶める事を知っているから、あれは学生食堂で終わりにしたいのが本音。
年月を経たビニールクロスも同様で、こびりついた汚れの貧相さは、住む人の人格までも貶めてしまう。
ビニールクロスがペロンと剥がれていたりすると、もう目も。当てられない。
年月と共に味が出てくるのではなく、年月を追うごとに皮相なツラに化してしまうのが、ビニール貼りの家なのだ。
この様な状態を生んだ原因は、ユーザーのサボりも手伝って余りある。
車や電化製品と同じように住宅までをメンテナンスフリーの対象としてしまったからだ。
雑巾をかけたり、障子を貼り替えたり、夏になればb簀戸に入れ替えたり、と言う様な事は殆どやらなくなった。無機質な材料ばかりでは手をかけようがない、と言う事も事実であるが、それにしてもノー天気すぎないか。
電気掃除機は便利なものだけれど、リズミカルな音を立てながら箒で掃く楽しさや、雑巾がけで磨きこんだ木の床の美しさを感じなくなった分だけ、生活の興趣を失った様に思えてならない。
大体、お掃除の際にも、あっという間にきれいになる事が売りの化学洗剤を用いている訳で、何もかも石油漬けである。
ピカピカしていてツルツルしていれば、お掃除したことになるのである。
最近ではダニの温床になると言う理由から、畳裏に「防虫シート」を敷くのが常識になっているそうだが、虫の一匹も居ない家の方が、本当はゾッとするほど恐ろしいことだとは思わないのだろうか。
スーパーで売っている切り身のスイカはビニールのラップの包まれている。色合いで味の良し悪しを見分けようとするのだが結構、当たり外れが多い。昔は丸ごとのスイカを外からコンコンと叩いて味を見分けたものである。モノと人との、そうした応答の関係が、殊更に住宅に於いて希薄になった。
こう言う住宅を率先して生んできたハウスメーカーを、だから私は式になれないのである。
何の権利があって日本の住宅をここまで無神経なものにしたのかと言いたくなる。
むろん今では地域の工務店がつくる住宅も五十歩百歩で「木の家」をうたいながら、その木をビニールクロスで包んで平然としている神経は、一体何なのだ。木は伐られた後も生きて呼吸していると言う。それなのにビニールクロスなどで包まれたのでは木は呼吸が出来ず窒息してしまう。
ハウスメーカーの真似をした方が注文が取れるとのたまう工務店があるけれど、デザインが野暮なだけ、いっそう見苦しいもので在る事を知って欲しい。
京都の名人大工、中村外二さんのご自宅を拝見させていただく機会があった。その折、「気には温度がある。ケヤキは冷たいから、お寺の本堂に宜しい。心をピシッと引き締めるのにぴったりや。この家の上がり框は赤すぎを使うてんのやけど、この材破温かい。住まいには、こう言う材がええのや」と言うお話が合った。
材料と語らう事の無くなった日本の住宅は、つくづくつまらないものになった、と思われてならない。
以上
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