昨今の義務教育の在り方についての私感

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令和6年7月5日のニュースで高知市立小学生の男児がプールでおぼれ、その後死亡した旨の報道がありました。市の教育委員会の発表では小学校のプールが工事中につき、市立南海中学校のプールを利用させた、との事、しかも教員が3人いたが男児が引き上げられるまで気づかなかったと言う全く無責任な出来事と思わざるを得ません。当然、小学校用プールと中学校用プールの深さに関し10cm以上も中学校プールの方が深いと言う違いは小学校側でも承知していたかと思うのですが、学校側は勿論、教育委員会としても、よりシビアに原因を追究し、ご遺族の方を始め子を持つ沢山の親御さんの為にも、尊い子供たちの命を預かる立場として、きちっと解明し説明する責任があるものと思います。私個人としても、子供たちを見守る先生方が3人も居てもこの痛ましい事故を防ぐ事が出来なかったと言う事は、見守ると言う姿勢が形骸化しており命を守ると言う緊張感が残念ながら緩んでいたのかもしれません。これでは見守る人数が、例えば3人から5人に増やしても防ぐ事は出来なかったと思います。強い言葉で申せば『先生方の怠慢さが主な原因』と、敢えて申し上げたい。勿論、先生方は『わかっているが忙しくそこまで手が回らないのだ』と反論する先生も居るでしょう。しかし、敢えて先生方に対し『何の工夫も努力もせずに、ただ忙しい忙しいの一点張りでは理由になどなりません。』と申し上げたい。限られた人員の中で在るならば、そして本当に忙しいのであれば、もっともっと工夫し努力する事が必要で在り、その努力が不足していたのではないでしょうか。

翻って、戦後のベビーブームの煽りで団塊世代と言われた私たちの時代、1クラス50人前後、クラス数も12〜15クラス位がある大所帯が普通で在りました。しかし当時の私達の先生方は文句一つ言わずに情熱と愛情をもって私を含め大勢の子供たちを受け持ちながら教えていたのであります。
今、改めて振り返れば全く頭の下がる思いで在り、しかも、あの忙しい中、子供達一人一人の家を訪ねながら家庭訪問をこなし、且つ運動部や文化部の部活顧問もこなし、その上、私達が中学三年生になると先生方は受験の為に必要な課外での補習授業を放課後の2〜3時間位、時間を惜しまず私達受験生に勉強を教えてくれたものでありました。

さて、昨今の先生方の有り様を少し俯瞰しながら教育現場に於ける先生方以外の第三者的視点で見てみたいと思います。勿論、これから書く文章には多少、先生方にとっては重く厳しい部分もあろうかと思いますが、あくまでも先生個人を対象としている訳ではなく、昨今の我が国のそもそもの教育政策等の間違いやそれを取り囲む社会的な背景等に一言、苦言を申したく書かせて頂きました。さて、昨今の先生方の教育現場等の風潮として、恐らく、先生方の多くは、戦後間もないあの頃と今とでは全く時代が違う、父兄達も高学歴になってきており、その上、授業内容のPCやスマホ等の情報端末機器の普及等も加わり、非常に複雑、且つ難しくなってきている、そんな多様な中で沢山の事をこなさなければならない、等と言うのかも知れませんが、勿論、その気持ちや社会的背景等も良く理解はできますが、しかし、良く考えて頂きたいのです。つまり、昔より生徒たちや彼らの親御さんから『信頼と尊敬の念』をもって教員と呼ばずに『先生!』と呼ばれていたのです。つまり、先生方は子供達を教育するべく『教育者』の何物でもないのです。 単なる知識を教えるので良ければ学習塾の先生と同じになってしまいますし、知識だけ教えれば済むのであれば、むしろ学習塾の先生の方が教え方は上手なのかもしれません。しかし、そうではないでしょう。特に義務教育の先生方はそうであっては困るのです。
やはり、先生方は昔から信頼と尊敬の対象者であります教育者としての存在であります。勿論、教育者とは様々な知識も教えるが、それよりももっと大切な『教えなければならない事』として『命の教育』であったり『責任感や罪悪感、或いは正義感、そして協調性や人を慈しむ心や優しい心、そして労わる心』等々、これから子供達が、人として、社会人として生きて行く上で、最も大切な心の有り様などを教える『大切な役目』がある訳であり、そこが学習塾の先生たちとは大きく根本的に違うのです。
だから、その最も大切な事を先生方は身もって子供たちに教えて行かなければならないのであり、その事が『先生』と呼ばれる由縁で在り大きな役目であり、それが最も大切な仕事で在ろうかと思います。昨今の『いじめ問題』等も先生方の見て見ぬ振りが大きく起因しております。先生方が見て見ぬふりをしていては教育者としては論外であり全くの失格者で在ろうかと思います。
兎に角、先生方の教育者としての最も大切な仕事とは、知識や学問を教える事が本来ではありませんので、はき違えの無き様にお願い申し上げたい。
しかし、これらも、その社会的背景として、我が国の教育制度そのものや教育行政等に大きく起因している事が非常に大きいと言わざるを得ません。
以上、私個人的な見解の上に立った個人的な考えで在ります事を付け加えておきます。令和6年7月7日(日)
石田秀光


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