庭屋一如、庭も部屋の内なれば
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昨今の新しい建売住宅メーカーによるニュータウンなどを見ていると、駐車スペースはどの家々にも確保されているのですが、しかし、庭のない家が実に多い事に気づくのである。そして、何故なんだろうと考えてしまう。勿論、庭にも大小様々、和風あり洋風あり、和洋折衷あり、と種々多様ではあるが、しかし庭のある家は本当に少ないのである。普通に考えても庭を作ろうと思ったならば作れないはずがないと思うのだが…………予算が無ければスペースだけでも確保さえしておけば、いつでも庭作りを始められるのに残念である。例えば、年に一回づつ、お薬師様の植木市で好きな花や苗木を買って育てて行けば、と思うのだが、その心情が良く分からない、やはり世代間の価値観の違い等があるのかもしれません。
私自身、住まいを考える中で常に意識し心掛けている事は、建築家で在り日本の茶室・数寄屋建築研究家の中村昌生先生(1927年~2018年)が提唱した造語で在りますが『庭屋一如』と言う考え方で在ります。意味は『庭と建物は一つの如し』つまり、ウチはソト、ソトはウチになると言う事であります。古くから日本の住まいには庭園や坪庭があり「自然と人は分かち難くつながっている」という日本人の心情があらわれています。庭を設えるだけでな無く、例えば日本の住まいは昔から下屋、縁側、濡れ縁、通り庭、土庇と言ったウチ(屋内)なのかソト(屋外)なのか曖昧な空間が沢山あり、私たち日本人はこの様に建物と庭との境界を隔てず、ウチとソトが混ざり合う曖昧な空間に日本的な良さや魅力を感じてきたのです。小さなウチでも広がりと開放感を得られ、ソトの四季の移ろいを肌で感じる暮らし・・・私たちは、ウチはソトのように、ソトはウチのように設計する事を心がけてきたのです。
翻って、冒頭に戻りますが、家の間取りを考える上で、家の中だけで考えるのではなく敷地全体を俯瞰しながら庭も一つの部屋として扱って考えて行く事が重要であります。兎に角、敷地の外から俯瞰しながら計画していかないと近視眼的なプランになってしまいます。俯瞰して考えて行けば敷地周辺の様々な家々の状況なども把握でき、例えば、竣工後、隣の家からのプライバシーの問題で苦情を受ける事もなくなります。
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