新しい家づくりの設計手法について
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人が生活をしていく上での重要な生活の基盤は『衣・食・住』と言う三つの言葉で哲学者のマルクスが簡潔に表した言葉で在ります。つまり「衣服と食物と住居」は「生活する上での必要な基礎・基盤」であり、人が人として豊かに生きる事を前提としたものであります。元々、その中の『衣』は、暑さ、寒さ、或いは危険な外敵等から身を守る為の防護機能としての役割があり、『食』は、飢えから身を守り、生きる為の糧であり、『住』は、自然の驚異や外敵等から身を守り、安全・安心に暮らす為の生活の拠所で在ります。何れに於いても人の暮らしには無くてはならないものであります。但し、『住』に関してのみ『衣』『食』とは多少違う次元で考えても良いと思うのです。例えば『衣』と『住』の大きな違いは『衣』は『住』と違い、流行り廃れが普通にあると言う事です。勿論、『衣』は色・柄、デザイン等の個人の嗜好や体形によって変化したり捨てられたり淘汰されていきますが、一方、『住』は非常に高額な買いものであり、一度、家を建てれば富裕層はともかく、一般の人々にとって、万が一、建てた家に沢山の不満があっても『衣』『食』の様に安易に捨てる事は出来ません。高価な買い物故に我慢や妥協を強いられながら、ずっとその家で暮らし続けなければならないと言う事であります。一般的に自分の家を新たに建てると言う機会は一生に一度位であって、それだけに失敗しない為の家づくりはとても大きな究極の作業と言っても過言ではないかもしれません。その中でも特に重要になってくるのが基本計画や基本設計であり且つ、自然との共生と言う観点から私自身、ランドスケープデザインを骨子とするサイトプランニングの手法で考えるべきであろうと考えており、この作業こそが、本来、設計の前段階で取り組むべきとても重要な作業で在り基本中の基本であると考えるのです。そして、この手法こそが
敷地の外から俯瞰し敷地の地勢をあらゆる方向から見極め知り得る事の出来る大きな手段でもあると思うのです。敷地の中の家と庭、家と車庫、家と外物置、等々、近隣との関係性も含め総合的に全体的な配置が自ずと決まってくるものと思うのです。
他方、「先に間取りありき」で決める設計施工会社や建売住宅メーカーなどの住宅を見ていると、前述に示した様な手法、つまり、
ランドスケープデザインを骨子とするサイトプランニングの手法で考えられた形跡は、殆ど観る事が出来ず、よって、建売の住宅団地等を見れば、ちぐはぐな、且つ整合性のとれていない街並みが平然と出来ており、私自身、これには、大きな違和感を感じるのですが如何でしょうか。これらは正に、設計段階にて、設計施工会社や建売住宅メーカー等の設計担当者が敷地や周辺環境の様々な調査等を意識的に捉えていないからかと思うのです。山形を中心とした村山地方は盆地特有の気候にて気温も寒暖の差が大きく、且つ雪も少なくありません。風も年間通じて約60~70%位は北西方向からの風であり、それ故、古来から建物の形態や配置等に関し屋根形状と屋根勾配、そして軒の出等に於いて、冬期間の強い北西風や雪の影響等を極力受けにくい屋根形状と向き、勾配等を過去の経験等から積み重ね伝承してきた歴史がありました。それが『地域の風土性』と言うのでしょうが、しかし、その風土性も昨今は忘れられ、強権に自然の力と対峙している、そんな感じを受けるのです。『温故知新』と言う言葉も今は死語に近いのかもしれません。日本列島を揺るがす最近の様々な自然災害の殆どは、人間の自然に対する畏怖の気持ちの希薄によるものと言っても過言ではありません。その様な意味で『風土性』とはとても曖昧な概念となってしまった様に思います。
翻って、建売住宅、否、注文住宅でさえも、自然と真っ向から対峙するデザイン優先の家など、数多く見かけますが、地域の風土性から考えれば如何なものなのでしょうか?
デザインとは機能があってのデザインです。勿論、個性も大事です、しかし、その個性が機能を無視したデザインであれば、個性的なデザインは単なる形の遊びでしかないと思うのは間違いでしょうか。
例えば福島県会津地方の大内宿、或いは岐阜県の白川郷などは正に、地域の風土が創り上げた典型的な素晴らしい具体的な例ではないでしょうか。集落としての美しさは日本はおろか世界中の誰もが認めるところであります。今では多くの観光客がその集落の美しさを見に、賑わうそんな時代であり、イギリス湖水地方のコッツウォルズもイギリス国内で最も美しい村と称され観光客で賑わっております。
他方、昨今の「ニュータウン」と呼ばれる建売系住宅団地等は
「街並み」或いは「集落」と言う観点から見た場合、残念ながら個性的な戸建てのデザインは、家同士が反目し合い、且つ何と纏まりのない、美観と言うには程遠いチグハグな街並みに、私自身も含め『建売メーカー展示場的街並み』と言わざるを得ない、そんな事例が非常に多く見受けられるようになりました。
さて『美しい街並み』と言う観点で建売系住宅団地見た場合、美しいと感じないのは何故なのでしょうか? 私は理由の一つとして、設計施工会社や建売住宅メーカー、工務店側の設計者、或いは施主側すらも、家のデザインとは、カラースキムも含め、他と違う家づくりが個性的なデザインであると考えているのかも知れません。勿論、その考え方もありますが、しかし、私は間違っていると思うのです。自分たちが住むこの街並みを美しく見せたいと言うのであれば、大内宿や飛騨の高山や白川郷等に見られる様な
地域環境と共生と融合が最も重要なキーポイントかと思うのです。例えば、家の外観、色彩、佇まい、周辺景観との調和と繋がり、等が重要なポイントの様に思うのです。所謂、ランドスケープアーキテクチャーデザイン(landscape archetecture)です。自然景観を中心にその地域と周辺社会等との繋がりがあってこそ美しい街並みを形成する上で最も必要な要素かと思うのです。
併せて、住まいに於ける外観づくりの重要なポイントは、
周辺景観との程よい調和と街並みとの絶妙な比例(プロポーション)であろうと思うのです。各地区、地域に現存する古民家等のプロポーションを考えてみて頂きたい。屋根の形に対する軒の出の絶妙なバランス、白壁と窓との絶妙な配置とその比例、そして屋根勾配の美しさ、等々であります。
つまり、その地域の自然環境や周辺環境に調和し、風土や風景に馴染み、且つ全体としての配置が美しい事であります。写真にもある通り、集落に於ける夫々の大屋根は、冬の季節風に逆らわず、流れる様に実に整然と同じ方向を向きながら佇んでおり、その風景は、実に美しく何百年もの間、脈略と受け継がれてきた集落の原風景で在ります。だから、発注者も設計者も施工者も地域に住む人々も、地域の自然環境や景観などへの関心を高める事が出来れば、大内宿や飛騨高山、白川郷等に観られる美しい集落や街並みを創る事も夢ではないと思うのです。兎に角、自分が住んでいる地域のステータスを高める為にも
ローカルアイデンティティー(Local identity)「ある地域や地方を外部に良く見せたい、良く見られたい、」と言う概念の具現化が、例えば、若者の都会への流出等に大きな歯止めとなるかもしれません。
昨今、大手ハウジングメーカーは自然環境との共存と快適な暮らしの両立をうたった「環境共生住宅」等と称して、地球環境問題、とりわけ地球温暖化問題に関する二酸化炭素排出の問題や化石燃料の枯渇を前提とする次世代省エネ問題等を基本としているが、これらはあくまで
地球環境と省エネへの配慮のみであり
「今、地球上で暮らす人も含め全ての生きとし生けるものの為」とか『美しい町並みづくり』の為等では決してないのです。美観と言う様々な考え方や大木の事例、そしてソフト面等をお互いに勉強し論じ合えば、自ずと街並みも美しくなっていくはずなのです。本来、美しい町並みと言うものは個人が持っている美意識もありますが、総じて
自然環境等が底流にあるべきであり、農耕民族である日本人としての自然観、つまり自然に対する崇拝と畏怖の念があれば十分に叶えられる問題であろと考えるのであります。以上、一日も早く欧州の街並みに近づく事を祈って!石田
参考サイト:

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